遡及

arton さんが「それが正当な皇位継承の手続きを経たかどうか、だけだ。」ということをおっしゃってるけど、それを云っちゃあおしまいという気も(苦笑)

でももっと云うとそれすら必要ないかも。明治期には大友、淳仁、仲恭が追号され、北朝光厳、光明、崇光、後光厳、後円融が正統からはずされ、南朝の後村上、後亀山が加えられ、神功皇后を歴代にかぞえなくなり、大正にはいって長慶が追号された。いづれも後になって、なかったものをあったことにしたり、あったものをなかったことにしたり、あったものをなかったものにしたものをあったことにしたり、どうやらあったらしいのであったことにしたり、ということで、要は「そういうことにしちゃったら、それが正統」と云えるのではないかと。そもそも、日本書紀の前半はあきらかに「そういうことにした」ものな訳だし。

だから、いま適当にきめちゃっても、あとになって不都合があれば、適宜さかのぼって、なかったことやあったことにしてしまえばぜんぜん問題ないんだし、とか思ってみたり。

って、それこそ、それをいっちゃあおしまいだわ。