贄としての大作監督

特に角川映画を撮るようになってからは「大作」を撮ることを義務づけられているようで「竹取物語」とか痛々しいことがおおかったし、むかしからどう考えても人間そのものを描くっていうのがどうにも苦手なひとだったけど、それでもあたらしいものとかトリッキーなもの好きなとこもふくめて映像のセンスというか、(ある意味)映画オタクっぽいところがとても好きだった。

だからこそ納得がいかない。彼の最期がアレだったなんて認めたくない。彼にふさわしい場はもっとあったんじゃないか、彼が撮るべき画はほかにあったんじゃないか*1。本当はもっと高いところに手が届いたはず。*2

正直まだまだ「大作」の生け贄になってほしかった。体は衰えてたけど、どうみても90過ぎの枯れた顔じゃありませんでしたよ? 監督。

*1:あくまで「画」で、彼が内発的に描きたい「物語」はなかった気がする。

*2:ただ、届きそうでいっこうに届かないというのもやっぱり彼の特徴でもあったんだけど。