グッバイ・モンテビデオ

かつて近代国家の無力さを主張したじぶんが云うのもなんなんだけど、国家の有限性をとなえるのは一定の世代(とそのシンパ)なのかもと、おもわなくもなかったり。わたしたちは「国家」にたいして「近代国家」とその系譜という捉え方での定式化が(なかば自覚的に)所与であるがゆえに、一定の結論に達してしまうのかも。

さらに云えば、近代国家の終焉をたんなる信仰としてではなく論理的必然とかんがえているあたりシンパのシンパたるゆえんに違いなく、「国」と「(近代)国家」をつかいわけることが欺瞞だなんて云われても、あーあーあーきこえません、親愛なる同志